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前回のブログ執筆時に、共和国記念日について書かれているイタリアのネットニュースを見ていて、ちょっと興味深い記事を見かけました。

タイトルは『コロナウィルスと闘った57人の共和国の騎士たち』というものでした。


何の事だろう?と調べてみたところ、毎年、共和国記念日に、各分野で功労のあった個人に対して、大統領からイタリア共和国功労勲章が授与されていることが分かりました。


日本語版ウィキペディアによると、「共和制移行に伴って1951年に制定されたもので、共和国大統領をその長とする騎士団の形式をとり、国内のみならず、外国人にも積極的に授与されている。」とありました。


等級は上から順に:

  1. カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ・デコラート・ディ・グラン・コルドーネ(cavaliere di gran croce decorato di gran cordone)

  2. カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ(cavaliere di gran croce)

  3. グランデ・ウッフィチャーレ(grande ufficiale)

  4. コンメンダトーレ(commendatore)

  5. ウッフィチャーレ(ufficiale)

  6. カヴァリエーレ(cavaliere)

の6階級。


という感じで、名称にも大将、司令官、役員などの等級を示すものが用いられ、一番下の階級「カヴァリエーレ」がイタリア語で「騎士」を意味するものです。


そして今年は、コロナ禍において活躍した57人がノミネートされ、この騎士勲章が授与された...というお話でした。


ウィキペディアの方には、さらに、これまでの日本人叙勲者がリストアップされているので、興味のある方はコチラ(☜)にリンクを貼っておきますのでご覧ください。


一番上の階級は、専ら大統領や大統領経験者に授けられている中で、当時の平成天皇陛下(現上皇)に授与されています。また、黒澤明監督が二番目の階級を頂いていたり、小説家の塩野七生さんや建築家の丹下健三氏、安藤忠雄氏が三番目の階級を、さらにはイタリア料理の落合務シェフ、元サッカー選手の中田英寿氏が騎士勲章を貰っています。他にも、政治家や事業家、オペラ歌手など、イタリアと何かしらの関わりのあった方たちが受勲しているようです。


さて、話をイタリア人の騎士たちに戻しましょう。

57人のうち、大半は医師、看護師、研究者などの医療従事者で、さらには救急隊員や救急受付で重症患者たちに対応したスタッフたちも名前を連ねています。


例えば、コドーニョで第一号の感染者を発見して治療をした麻酔科医と女医。同じくコドーニョで毎日100キロの距離を奔走した薬剤師。また、診療所という比較的安全と思われていた場所で医療に関わるパドヴァやパルマの「ホームドクター」が、人手が足りなくなったレッドゾーンの医療現場へ、感染の危険も顧みずに手助けに行ったという話もありました。(コロナ禍の初期に、コロナとは知らずに防護策を取らず診察していて感染し、亡くなってしまったホームドクターもたくさんいました)


他にも、ミラノの大学病院の集中治療学の教授やパンデミックのシンボルにもなったクレモナの看護師(仕事を終え疲れ果ててキーボードの上で寝てしまった彼女の写真がSNSで世界中に流れたことから逼迫する医療現場の象徴として多用されました)、さらに、引退していたのに現場に戻って活躍した医師たち。


【看護師のエレナさんは自身も感染しましたが現在は回復しています】


医療関係者以外でも様々なエピソードとともに紹介されていました。

*自分の給料の全てを慈善団体に寄付したパレルモ近郊の警察署長

*廃墟となっていた5つの病院を記録的なスピードで修復させる陣頭指揮をとったヴェネト州の陸軍山岳隊長

*ローマの病院で腫瘍の治療を受けなければならないカラブリア在住の3歳の女の子を往復1300キロの距離を無料で送り届けたタクシードライバー

*休業中の自分の店でピッツアやビスケットを作って困っている高齢者に配ったり、地元の病院のために募金活動をしたカゼルタのレストラン経営者

*休業中の実家の店で祖父や父親と一緒に料理を作り、病院の医師や看護師に食事を届けたミラノの調理師学校の学生

*自分のアルバイト代で1000枚のマスクを購入し、トリノの赤十字に寄付したレバノン人のライダー

*パルマで救急ボランティアとして活動したイタリア代表ラグビー選手(コンゴ人の父を持つハーフ)

*自分が入院中にもかかわらず、遠隔でオンライン授業を続けたイスキア島の教師

*スキューバ―用のマスクを医療用に改良して実用化したエンジニア

*聴覚障害者のために読唇ができるよう透明のマスクを作ったガリッポリの洋裁店主

などなど。。。


【洋裁店主イレーネさん自身のFacebookより】



<日本で言うと・・・>

この勲章のことを知った時に、日本にも同じような褒章制度があることを思い浮かべました。

ウィキペディアによると、「社会や公共の福祉文化などに貢献した者を顕彰するため、天皇から対象者に授与される。顕彰の対象となる事績により、紅綬褒章緑綬褒章黄綬褒章紫綬褒章藍綬褒章紺綬褒章の6種類が定められている。」とありました。

この中の、最初の紅綬褒章の授与対象となる理由が「自己の危難を顧みず人命の救助に尽力した方」と内閣府のHPに書いてあるので、今回のイタリアの騎士勲章は、まさにこれが相当するのではと思った次第です。


日本の秋の叙勲でも、きっと今回のコロナ禍で活躍・貢献した方たちが候補に挙がるのではないでしょうか。



<その後のイタリアの状況の推移>

では、前回に引き続き、イタリアの状況レポートです。(この記事は執筆時6月22日の現地18時現在の情報を基に書いています)


過去3週間の推移を1日の増加数の週ごとの平均値で見てみましょう。(※比較しやすいように四捨五入して数値を丸めています)

  

  *5/29-6/ 4 感染者数: 330 死者数: 80 回復者数:1,610

  *6/ 5-6/11 感染者数: 300 死者数: 70 回復者数:1,350

  *6/12-6/18 感染者数: 290 死者数: 50 回復者数:1,320

ご覧のように、新規感染者、死者数ともに微妙に減りつつあるものの、横這いに推移している印象です。

その中でもポジティブな話題でニュースになったのは、イタリアで感染者が最初に出てレッドゾーンになったコドーニョがあるローディ県で、先週の金曜日に新規感染者がゼロだったことです!

以下が、それを示す表となっています。


【6月19日の州別の新規感染者数一覧】


6月19日現在で、イタリアの総感染者数は23万8千人で、そのうちロンバルディア州全体で92,518人(約4割)です。

ロンバルディア州は行政上、12の県に分かれていますが、州都がありイタリア第二の都市ミラノを擁するミラノ県が、断トツで感染者も多いことが上の表からも分かります。


ミラノ県では、まだ平均して一日50~100人の新規感染者が確認されています。とにかく、一日も早くミラノでも0人となる日が訪れて、それが継続してくれたら良いのですが。。。




更新日:2020年8月6日

セルジォ・マッタレッラ大統領は、6月2日の共和国記念日の前日に、ローマにある大統領官邸の庭園で行なわれた「コロナウィルスの犠牲者に向けた追悼コンサート」の冒頭で演説を行いました。


今回のコロナ禍において、行政のリーダーとして前面に出ていたコンテ首相に比べると、映像的な露出は少なめの大統領でしたが、国家元首として、国の象徴として、こういった国家的な行事の際には、やはり大統領の存在が光ります。


今日は、そんなマッタレッラ大統領にスポットを当ててお届けしたいと思います。


【共和国記念日に寄せてスピーチをするマッタレッラ大統領】

日独伊同盟が敗戦した第二次世界大戦の終戦から75年~その翌年6月に行われた国民投票で王政が廃止され、共和制となったイタリアでは、国王に代わって国家元首として大統領が誕生しました。その第12代のイタリア共和国大統領が、今年で79歳となる、まさに戦中生まれのマッタレッラ氏です。大統領の任期は7年、2015年に就任したので、2年後の任期満了時には81歳を迎えられますが、スピーチで話す姿も歩く姿も、背筋もピンと伸びていて、年齢よりお若い印象を受けます。


この3ヶ月の間に、全国で3万3千人以上の犠牲者を出したイタリア。そのほとんどの方が最期の別れもできずに、身近な大切な人を失う深い悲しみを負いました。そんな犠牲者とその家族への追悼の意を表しながら、スピーチの最初に、今年の共和国記念日は、不安感と希望の入り混じる特別な雰囲気の中で迎えることになると述べました。


大統領は、コロナウィルスによる緊急事態からの国の経済的および社会的回復と、戦後の復興との間に重要な類似点を描き、歴史上のこれらの困難な時期の両方で浮上した国家の連帯感を強調されました。つまり、この困難な時期にこそ、世代、地域、社会的状況、政治的思想を超え、一つの運命共同体として、国家の発展と成長に国民一人一人が努力を深めることが大切だと述べられました。


もちろん、自らの健康を危険に晒して今も対応している医療従事者をはじめ、ロックダウン中に社会の活動が停止している間も休みなく働いてくれていたエッセンシャル・ワーカーや、休校中にオンラインで授業を続けていた先生方、不足していた医療器具の供給のために自らの事業と異なる生産に協力してくれた起業家、警察や軍関連の従事者、そしてボランティアの人たちへの感謝の意も表しました。


さらに、国境を越えた連帯感の重要性について触れ、EU諸国間の連帯こそが、我々の世代が直面した最大の危機に立ち向かうことを可能にする唯一の道であること、それは、より経済的に強い国であっても、コロナの影響が比較的小さい国であっても同じことで、EUの存在なくしてヨーロッパの各国に将来はないと強調しました。


最後に、今年の共和国記念日は、この劇的な出来事の始まりの場所である(ロンバルディア州の)コドーニョに行き、すべての犠牲者に敬意を払い、そして、この極度な状況の中で最前線で勇気と自己犠牲をもってコロナウィルスと闘かってくれたすべての人の勇気を称えてくることを述べました。

そして、この緊急事態の中で頑張ってくれた全ての国民に感謝し、自分の国を誇りに思っていると締め括りました。



<共和国記念日の当日>

例年であれば、ローマのヴェネツィア広場からコロッセオに続くフォリ・インペリアリ通りに観覧席が設けられて、盛大な軍事パレードが開催されるのですが、今年はウィルス感染拡大防止のためにパレードは中止され、式典のみが行われました。


会場は、ヴェネツィア広場に面して建つ白い巨大なモニュメント「ヴィットリオ・エマヌエレ2世の記念堂」(イタリア初代国王の名前)で、ここには無名戦士の墓があることから「祖国の祭壇」とも呼ばれています。1925年完成と、周囲に古代遺跡だらけのローマでは新しい建造物で、近代ローマのシンボルとなっているところです。


式典自体は短くて、大統領が到着後に国歌演奏と共に国旗が掲揚され、大統領が祭壇に月桂樹のリースを手向けるタイミングで、空軍のアクロバット飛行隊(フレッチェ・トリコローリ)が上空を通過する...といったものです。


この式典の模様を紹介した動画を見つけたので、ぜひご覧ください。3分半の中で、ハイライトのアクロバット飛行の部分は2:25-3:00のところです!



さて、マッタレッラ大統領は、この式典の直後そのまま空港に移動し、前日の演説で触れた通り、コドーニョ(2月21日にイタリア人のコロナウィルス感染者が最初に出た町)へ向かいました。

コドーニョは、ロンバルディア州のローディ県にある人口1万6千人の町~そこへ大統領がやって来る!ということで、写真の通りの大歓迎ぶりです。(密です…苦笑)


【歓迎に応える大統領(左)/大統領を歓迎する地元の人たち(右)】


コドーニョの市庁舎で行なわれた式典には、ロンバルディア州知事をはじめ、ローディ県知事、コドーニョ市長、その他の周辺の市長たちも参列しました。今回イタリア全土がロックダウンになる前に、最初にレッドゾーンに指定され、町ごと封鎖された地域の関係者たちです。


大統領はスピーチの中で、「イタリアの再出発は、ここコドーニョから始めたい!」と力強く宣言しました。共和国記念日の当日に、大統領自らがコドーニョを訪れることにこそ大きな意味があった訳です。

その後、コドーニョの墓地を訪れ、大統領参拝の記念碑に献花されました。


【コドーニョ墓地に設置された記念碑に献花する大統領】


とんぼ返りでローマに戻った大統領は、午後にはローマの病院を視察に行かれたそうです。


以前こちらのブログでも記事にしたローマ教皇もそうですが、マッタレッラ大統領も日本でいうところの後期高齢者。。。日々こうして精力的に国のために働いていらして、頭が下がります。

そして、(どこかの大国の大統領と違って)品位のある立派なお人柄が滲み出ています。


もちろん、イタリアの政治家の中にも品位のない酷い人や、なんでこんな人が当選したんだろうと思うような馬鹿げた発言をする人もいます。与野党の攻防とか醜い言い争いなんかも日本同様に展開されています。


それでも、「俺たちはお前らと違って民度が高いから、コロナの死亡率が低いのだ」と平気で言ってのける政治家(しかも首相経験者)よりは数十倍もまともです。

被害の大きかったイタリアの人たちが聞いたら何て思うだろう...と、同じ日本人として、申し訳ない気持ちと恥ずかしさでいっぱいになりました。



<その後のイタリアの状況の推移>

前回に引き続きイタリアの状況レポートです。(この記事は執筆時6月10日の現地12時現在の情報を基に書いています)


過去2週間の推移を1日の増加数の週ごとの平均値で見ています。(※比較しやすいように四捨五入して数値を丸めています)

  

  *5/22-5/28 感染者数: 530 死者数: 90 回復者数:2,290

  *5/29-6/ 4 感染者数: 330 死者数: 80 回復者数:1,610

今のところ、減少傾向は続いたままです。なんとかこのまま、三桁が二桁、二桁が一桁と減り続けていってくれることを願うばかりです。



注:上記掲載の写真と動画はネットニュースよりお借りしたものです。



5月18日から事実上の外出禁止令が解かれ、2回目の週末を迎えたミラノ。まだ全てではないけれど、商店やブティック、カフェやレストランなども再開し、街に少しずつ活気が戻り始めています。


ロックダウン中は、近所のスーパーや薬局に買物に行く時でさえ、「自己申告書」と「身分証明書」を携帯しなくては出歩けなかったし、第一弾の規制緩和後も、別居の家族・親戚や婚約者の訪問以外はNG・・・それが、申告書なしに自由に街に出たり、生活必需品以外のショッピングをしたり、友達と出かけることができるようになったのです。

もちろん、一定の距離(最低1メートル)を取り、マスクを付けることが条件となっていることは言うまでもありません。


実に2ヶ月と1週間の軟禁生活を過ごしたミラネーゼ。。。この間に春から初夏へと季節が進み、屋外の席でお茶をしたり、アペリティーボ(夕食前につまみながら一杯飲むミラノ発祥といわれる習慣)したりするのに最適の気候!夏物の洋服や靴だって新調したい!!そんな気持ちがうずうずしていた訳ですから、解除と同時にはち切れて一斉に出歩く人が増えることは容易に想像ができました。


【ミラノ中心部の歩行者専用エリア(上)/ナビリオ運河沿い(下)】

ご覧のようにかなりの人出・・・ほとんどの人がマスクは着用しているものの、場所によっては一定の距離が取れているようには見えません。

そして、これが夜になると状況はさらに悪化しています!


【夜のナビリオ地区(上)/ガリバルディ地区(中・下)】


かなり密な状態で人だかりができていて、まったく距離が保たれていない上に、マスクを外してしまっている人も見かけられます。たしかに、飲食や飲酒はマスクをしたままでは出来ませんが、問題はこの密集してしまっていることです。


これにはミラノ市長も憤慨し、毎日のようにSNSでビデオメッセージを発信していましたが、先週末の様子を受けて直ぐに県警に連絡し、すべての警官(国家警察、軍警察、財務警察、市警察)を動員してパトロールの強化をすること、また、19時以降のアルコール飲料のテイクアウト販売を禁じるとの声明を出しました。


【日中の巡回の様子(上)/夜のパトロール(下)】


ミラノのナイトライフに欠かせないアペリティーボ・・・元来は「食前酒」を意味する言葉ですが、夕方の仕事帰りや食事前にバールやパブに立ち寄って、カウンターで軽く一杯(カクテルやワイン、ビール等)飲みながら、チップス、オリーブ、カナッペなどのフィンガーフードをつまんだりする行為そのものを指すようになりました。

現在はシステムも多様化して、ビュッフェ・スタイルの軽食が取れたりと、着席スタイルのお店も増えていますが、席に座ってまったりするよりも、大人数で立ったままワイワイお喋りするのが定番。特に人気のスポットでは、常に外にまで人が溢れて、グラスを片手に、それでもジェスチャー盛んに喋り続ける光景を見ると、イタリア人の元気の源はこの‘お喋り’なんだなぁ~と妙に納得する次第です。

友人のご主人は、ほぼ毎日のように行きつけのバールに寄ってから帰宅するそうですが、これってお酒を飲むことよりも、そこで顔見知りの常連さんたちとお喋りすることが目的なんだろうと思います。


そもそも、イタリア(特にミラノ)でこれだけ感染が急拡大した一因には、この習慣も大きかったのではないかと改めて思うほどです。

そんなイタリア人が、2ヶ月以上も友人や仲間と接触を断ち、大好きなアペリティーボもできなかった訳ですから、解除後にこうなることは十分に懸念されていたはずなんです。


この現象は、もちろんミラノだけにとどまらず、イタリア各地で起こっているので、各州知事や市長は様々にコメントを出しています。知事の間では、パトロールによる取り締まりには限界があり、あとは個々の良識に訴えるしかないという記事も目にしました。

また、規定に沿った営業ができていないからと罰金を科せられた飲食店も出ているようです。さて、この週末は一体どうなることでしょうか?



<その後のイタリアの状況の推移>

では、前回に引き続きイタリアの状況をレポートしたいと思います。(この記事は執筆時5月30日の現地14時現在の情報を基に書いています)


その後の比較をするために、過去3週間の推移を1日の増加数の週ごとの平均値で見てみましょう。(※比較しやすいように四捨五入して数値を丸めています)

  

  *5/ 8-14 感染者数:1,030 死者数:200 回復者数:2,530

  *5/15-21 感染者数: 700 死者数:160 回復者数:2,750

  *5/22-28 感染者数: 530 死者数: 90 回復者数:2,290

ご覧のように、新規感染者数も死者数も2週間で半数前後と減少しています。注目されるのは、解除後の上記のような状況がどのように反映されてくるかです。いわゆる潜伏期間の平均が2週間とすると、これが来週以降に出てくるのではないかという心配。。。


そして、再びロックダウンとなった時には、イタリア経済はどうなってしまうのか?!



注:上記掲載の写真はネットニュースよりお借りしたものです。



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