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更新日:2020年4月16日

外出禁止令も2ヶ月目に入っているここイタリアでは、皮肉なことにお散歩日和のポカポカ陽気が続いています。

普段ならイースターの連休だったこの週末も、家の中に毎日いると季節感を感じられず、テレビやネットニュースで世界の状況をチェックする日々。。。


ところで、本来のイタリアの復活祭ってどんな感じなの?と思われた方は、3年前にブログ記事を書いているのでコチラ(☜クリック)をご参照くださいませ。


そんな訳で、今日は復活祭にちなんで、ヴァチカンの〔ローマ教皇〕にスポットをあててみたいと思います。


イタリアの首都ローマ市内には、〔ヴァチカン市国〕という世界最小の独立国があり、ここが“カトリックの総本山”として世界中のカトリック信者の巡礼地ともなっています。

そのヴァチカン市国の国家元首でもあり、全世界のカトリック教徒の精神的指導者がローマ教皇なのです。


現在のローマ教皇は第266代で、7年前に就任したアルゼンチン出身のフランシスコ教皇(83歳)、イタリアでは〔パパ・フランチェスコ〕として、そのお人柄からも国民にとても愛されています。ちなみに、イタリア語では教皇のことをPapa(パパ)といい、英語のPope(ポープ)もこのラテン語が語源となっています。

※父親を意味するイタリア語はPadre(パードレ)ですが、一般的に父親のことを呼ぶ時の呼称Papà(パパァ)は後ろにアクセントがあるので区別できます!


このフランシスコ教皇は、昨年11月に来日したばかりで、被爆地の広島や長崎を訪問して“核兵器の廃絶”を訴えたことは、皆さんの記憶にも新しいと思います。


そんなフランシスコ教皇は、いま世界中で多くの犠牲者を出しているパンデミック“新型コロナウィルス”に対し、大変に心を痛め、毎日のように神に祈りを捧げて下さっています。

もちろん、それが教皇様の使命ですし、日頃でもお祈りは毎日のお務めなのですが、イタリア全土で移動制限が出されてからは、祈りの儀式や教皇によるミサの様子は、教皇庁の広報事務局がライブ・ストリーミングで世界中に発信し、先週の復活祭までの聖週間の様子は、イタリアのテレビなどでもライブで放映されていました。


【サン・ピエトロ大聖堂にて一部の関係者のみで行われた復活祭のミサ】


私はカトリック信者でもキリスト教徒でもありませんが、神様の存在は信じています。昔から旅先でその町の教会を訪れた際には、必ずロウソクを灯して旅の安全と家族の健康と幸せを祈ってきました。


そして、イタリアに来てからは、ウェディングプランナーとして教会での結婚式に携わったり、イタリア人の家族を持つようになってからは、親類の洗礼・堅信式に出席したり、葬儀に参列する機会もあり、キリスト教がより身近になったことは言うまでもありません。


そんな私が、今おかれている状況の中で、より身近に感じるようになったローマ教皇の一連の行動や言葉に、深く心を打たれることが何度もありました。

それをこのブログを読んで下さる日本の皆さんにもお伝えしたくて、今日はこのテーマを選びました。


まずは、パンデミック宣言が出されて間もなくの3月15日、教皇はローマ市内の2つの教会を訪れて、パンデミックの収束のために祈りを捧げられました。

一つはサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で、ここに保管される古い聖母子画『サルス・ポプリ・ロマーニ(ローマ人の救い)』に献花して祈られました。この聖母子画は教皇がとても崇敬されているもので、これまでも様々な機会にここを訪れては祈られているそうです。

続いて、教皇はローマ中心街を貫くコルソ通りの一部を歩かれ、聖マルチェロ教会に向かわれました(日頃は人混みで溢れているショッピング通りなのに、ガランとした道を護衛に付き添われ歩く姿が当日のニュースで報じられました)。

この教会には、1400年代の作である木彫のイエスの磔刑像があり、1519年に同教会をほぼ全焼させた火災の中で奇跡的に焼け残り、1522年にペストがローマを襲った際、感染の鎮静を祈る宗教行列で掲げられたそうです。当局からの禁止にも関わらず、民衆によって始められたこの宗教行列は16日間にもおよび、この十字架を掲げた行列がローマ市内を練り歩く中、ペストは次第に下火になっていったと伝えられています。ローマを“大ペスト”から救ったというこの『奇跡の十字架』を見上げ、教皇は祈りを捧げられました。


この2つの教会への訪問を通して、教皇はイタリアをはじめ世界で拡大する新型コロナウイルス感染症の収束と患者たちの回復、また亡くなった方々の冥福と親しい人々への慰めを祈られました。教皇の祈りは、仕事を通して社会のために奉仕する医療従事者らにも向けられたそうです。


続いて3月27日の夕方、通常はクリスマスとイースターのみに全世界に向けて行なわれる特別な祈り『ウルビ・エト・オルビ』(ラテン語で『都市と世界へ』の意味)をとり行なわれました。この祈りは、世界中に脅威を与えているパンデミックの収束を神に祈り求めると共に、神における信仰によって人々を励ますために実行されたそうです。

この日の夕方、ローマは冷たい雨に見舞われていました。教皇はご自身が風邪気味だったにもかかわらず、傘もささずに無人のサン・ピエトロ広場のスロープを大聖堂に向けて上られました。そして、普段なら何万人もの信者で埋め尽くされるサン・ピエトロ広場で、たった一人きりでミサを行われたお姿が印象的でした。


その祈りの一部“イエスが突風を静めるエピソード”を抜粋してご紹介します:

嵐の中で舟が水浸しになり、おぼれそうだと訴える弟子たちにイエスが向けた言葉「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」~嵐のさなかに語りかける主の声、連帯の精神と希望を持ち、すべてが挫折に見えるこの時にこそ意味を見出すよう呼びかけるその声に、耳を傾けるよう教皇は招かれます~「今夜、私は、民の救いであり、嵐の海の星である聖母の取り次ぎをもって、すべての皆様を主に託したいと思います。ローマと世界を抱きしめるこの広場から、慰めの抱擁としての神の祝福が皆様の上に降りますように。」「主よ、世界を祝福し、体に健康を、心に慰めを与えてください。私たちに恐れぬよう命じてください。しかし、私たちの信仰は弱く、私たちは慄いています。それでも、主よ、私たちを吹き荒れる嵐の中に見捨てないでください。」


そして、教皇は大聖堂正面の左右に掲げられた、古い聖母子画『サルス・ポプリ・ロマーニ』と、キリストの磔刑像『奇跡の十字架』(両者とも前述の教会よりヴァチカンに一時的に移管されているもの)を前に、長い沈黙の祈りを捧げられました。最後に、教皇は大聖堂のアトリウムで聖体降福式をとり行われ、聖体礼拝と祈りに続いて、聖体顕示台を掲げて、ローマと世界に向けた教皇祝福『ウルビ・エト・オルビ』をおくられました。


【無人の広場で一人でミサを捧げて祈られるローマ教皇】


この様子をダイジェストで1分強にまとめたヴァチカン・ニュース作成の動画がとても心に響くものに仕上がっているので、こちらに共有したいと思います。



4月10日の聖金曜日(復活祭直前の金曜日を指し、イエス・キリストの受難と十字架上の死を記念する日)に、サン・ピエトロ大聖堂の司教座の祭壇で行われた『主の受難の儀式』は、他の聖週間中の儀式と同様に、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、教皇とわずかな関係者のみで行われました。

この儀式では、教皇が床に伏しての祈り、『ヨハネ福音書』のイエスの受難と死の場面の朗読、十字架の崇敬などが行われましたが、祭壇前には、やはり『奇跡の十字架』が立てられました。


カンタラメッサ神父(教皇付説教師)によって行われた説教の中で、「新型コロナウイルスの感染拡大は、自分たちは全能であるという幻想から突然に私たちの目を覚まさせ、これほど小さいウイルスが、人間は不死身でなく、軍事力もテクノロジーも私たちを救うには十分でないことを教えている。」と語られました。

そして、このパンデミックを“神の懲罰”のように見る声に対し、カンタラメッサ神父は、「神は私たちの味方であり、神のご計画は平和の計画であって、災いの計画ではない。」と強調しました。


イエスが処刑される際「自分は三日後に復活する」と告げたように、「私たちもこの時を乗り越えて復活し、家から出られる日が来るだろう。」と述べたカンタラメッサ神父は、「それは元の生活に戻るためではなく、イエスのように兄弟愛に満ち、より人間的でキリスト教的な新しい生き方を得るためである。」と説かれました。

さらに、「神が、患者に回復を、医療関係者に力を、家族に慰めを、亡くなった方に救いをもたらしてくださりますように・・・」との祈りが捧げられました。


こちらの儀式の様子も、ダイジェストで1分ほどにまとめた動画がありました。

おそらく日本ではなかなか放映されることのない、ローマ教皇が床に伏して祈られるお姿など貴重だと思います。司教座の祭壇も、普段は観光客が立ち入れない領域なので、ぜひご覧ください。



同じ聖金曜日の夜、ローマ教皇はヴァチカンのサン・ピエトロ広場で『十字架の道行』をとり行われました。これは、イエスが死刑宣告を受けてから、十字架上で息を引き取り、墓に葬られるまでを、14の場面(留)に分け、それぞれの留で黙想し、祈りながら行なう信心業です。

恒例として、ローマ市内のコロッセオを会場としてきましたが、今年は新型コロナウィルス感染拡大防止のため、無人の広場でとり行われました。


この道行には、刑務所付司祭をはじめ、元受刑者、刑務官、ボランティアの刑務所関係者、そして新型コロナウイルスの治療にあたるローマの医師や看護師らが参加し、十字架を掲げました。

沈黙と闇に覆われた広場で、ろうそくの火が十字架の歩む道を照らす中、参加者らは、十字架を掲げ、一留ごとにイエスの受難の場面と、それぞれの十字架を背負いながら神の救いと癒し、そして希望を求める人々の思いを重ねつつ、広場のオベリスクを一周してから、大聖堂前へと向かいました。最後の留において、大聖堂前で十字架を受け取られた教皇は、祈りを締めくくると共に、祝福をおくられました。


【聖金曜日にサン・ピエトロ広場で行われた十字架の道行】

4月5日の『棕櫚(しゅろ)の主日』に始まった聖週間の締め括りは、12日(日)の『復活の主日』=復活祭となります。

前夜、『復活の聖なる徹夜祭』をとり行われた教皇は、この朝、復活の主日のミサを司式され、『復活祭のメッセージ』と、ローマと全世界に向けた教皇祝福『ウルビ・エト・オルビ』をおくられました。


メッセージでは、「この復活祭は、多くの人々にとって、喪に服すと共に肉体的苦痛から経済問題に至るまでパンデミックが引き起こした様々な災難に見舞われた“孤独な復活祭”となりました。」と始め、「時には自身の健康までも犠牲にし、あらゆる場所で力の続く限り隣人へのいたわりと愛を証している医師や看護師たちに、力と希望をお与えください。また市民の共存に必要不可欠なサービスを保証するために絶えず働く人々、また多くの国々で市民の困難と苦しみを和らげるために貢献する警察や軍の人々に、私たちの親愛と感謝を込めた思いを向けます。」と称賛しました。


そして、「ここ数週間、たくさんの人々の生活が突然変わりました。多くの人にとって、家に留まることは、思索し生活のあわただしいリズムから抜け出し、親しい人々と共にいる時を味わうための機会となりました。しかし、一方で、多くの人々には、仕事を失うリスクや、この危機の影響がもたらす未来の不確かさに不安を感じる時にもなりました。」と続け、「人々の尊厳ある生活に必要な手段を供給し、この状況が改善した際の日常生活の再開に配慮し、市民の共通善の推進のために熱心に働く政治責任者たちを励ましたいと思います。」と述べました。


続いて、「今は無関心でいる時ではありません。」と、貧しい人々、社会の辺境に生きる人々、難民やホームレスの人々に(社会で多くの活動が停止している中)、生活のための必需物資や、薬・医療支援などが欠けることがないように祈りました。


さらに、「今は利己主義でいる時ではありません。」と、欧州連合(EU)が崩壊する危険性があると警告し、貧しい国々への債務救済を求めました。


加えて、「今は分裂している時ではありません。」と、世界各地の紛争を即時停戦し、無差別なテロ攻撃がなくなるよう促し、武器の製造と取引に使われる膨大な資本は、人々の治療と救命のために使われるべきだと述べました。


また、「今は忘れている時ではありません。」と、現在のパンデミックの危機が、多くの人々を苦しめている他の様々な緊急事態(難民問題、人道危機、旱魃、飢餓など)を忘れさせることがないよう警鐘をならしました。


最後に、「無関心、利己主義、分裂、忘却、これらは、この時期、実に耳にしたくない言葉です。これらの言葉をすべての時代から締め出したいと思います!」と加えてまとめられました。


「こんな素晴らしいローマ教皇がいる限り、大丈夫、きっとすべてうまくいく!」と神の存在を信じずにはいられない聖週間でした。



更新日:2021年4月8日

イタリア全土が封鎖され、移動制限が発令されてから一か月が経過しました。その効果がようやく表われ始めているとはいえ、まだまだ厳しい状況は続いています。


日本でも主要都市を対象に緊急事態宣言が出されましたが、こちらでは引き続き、イタリアの状況をレポートしていきたいと思います。(この記事は執筆時4月11日の現地18時現在の情報を基に書いています)


移動制限をはじめとした企業活動の休止期間が、今週末の復活祭の連休明け(4月13日)まで延長されていましたが、昨日10日のコンテ首相の記者会見で、さらなる延長が正式に発表されました。

経済活動の休止が長引けば長引くほど、再開後の建て直しは困難を極めるため、状況を慎重に見極めつつ活動再開に向けたプランを決定するとしていましたが、4月末~5月初めにかけての連休中の国民の動きを抑えることが必須であることから、活動制限は5月3日までとなったようです。

ちなみに、今回の首相令で例外として、本屋と文房具屋とベビー用品店には営業の再開が許可されました(※ロンバルディア州を除く)。


では、この1週間の感染者の推移ですが、前回同様に1日の増加数の平均値を出してみました。(※比較しやすいように四捨五入して数値を丸めています)


 *3/27-4/ 2 感染者増加数:4,960 死者増加数:820

 *4/ 3-4/ 9 感染者増加数:4,050 死者増加数:620

 

前週からの比較では、感染者数は一日平均で900人、死者は200人も減っているので、全体的に好転している印象ですが、回復者数の平均値も1,800人ほどです。

つまり、感染者数から回復者数と死亡数を引いても、新規の感染者数の方が上回っているので、陽性患者数の数値は蓄積されて増えていっている(10万人)のが現状です。


そして、9日から10日の24時間での数値は、感染者も死者も減っていたのに、先ほど発表された数字は、いずれもまた増えてしまい、11日18時現在、感染者総数が15万人を超え、死者数は2万人に迫っています(回復者総数は3.2万人)。


この週末の復活祭も、本来であればクリスマスに次いで大きなイベントなので、1ヶ月に及んでいる軟禁生活から解放されたくて、海や山に別荘を持っている人たちが移動しないように数日前から呼びかけがあり、検問も強化しています。


さて、今日はそんな中でポジティブなニュースを集めてまとめてみました!


まずは、これまで政府が発表している主な経済支援策についてです。

3月16日にコンテ首相が発表した初期の緊急経済対策「クーラ・イタリア」(イタリア救済策)では、医療関係者、労働者、家庭、中小企業への支援として250億ユーロを投入。その直後、さらに250億ユーロを上乗せし、計500億ユーロを緊急支援資金として拠出していて、これらの資金の配分先と分配金額は詳細に規定され公表されています。


市民に直結する生活支援としては、緊急にイタリア全土の市ごとに4億ユーロを分配し、各市の主導の下に困窮している家庭を支援~例えば、一部の地域では困窮する全ての市民にパスタや小麦粉などの食料、日用品、非常時の必需品が詰まったパッケージを配布したり、スーパーや薬局で使える最低300ユーロの商品券を宅配で届けています。


4月1日には、さらに大規模な緊急経済対策として、大中小企業を対象に3500億ユーロの建て直し資金を投入すると発表されました。

医療現場と市民保護局へは医療機器、必需品のための資金、その他企業への資金投入に始まり、企業のローン返済の一時停止、納税義務の一時停止、光熱費の免除、封鎖期間中の市民生活を守るための休業補償として2人以上の企業の全社員に給与の70〜80%を支給するというものです。

また、フリーランスや個人事業主には、特別手当(一ヶ月分)として600ユーロの支給、納税義務の一時停止、子育て家族の養育費、育児休暇の拡張、ベビーシッター費用として600ユーロのクーポンの提供など細部に渡り補償が始まっています。


4月6日にはこの緊急支援資金をさらに4000億ユーロを追加(合計7500億ユーロの緊急支出)することを決定。この際にコンテ首相は、「イタリアはこのコロナ危機から立ち上がった後、すぐに全力で走り出そう!」とコメントし、企業や労働者を鼓舞しました。


一方で、募金活動や寄付金についてですが、4月11日の市民保護局の発表では、この日までに市民保護局に寄せられた寄付金の総額は約1億1,699万5,000ユーロ(約140億円)となり、これは大企業から個人まで、大小様々な寄付金が寄せ集まった数字です。

これ以外にも、赤十字社やNPO団体宛てに集まっている募金や、クラウド・ファンディングの類、教会や各地の医療機関に直接集まっている寄付金は膨大な額に上っていると聞いています。


そして、今日のタイトルに掲げたように、この危機的状況に支援策を展開している業界も多岐に渡っています。


まず、イタリア・ファッション界を代表する高級アパレルブランド『アルマーニ』の創設者ジョルジオ・アルマーニ氏(85歳)は、3月下旬に医療従事者向けに声明を出し、自身も若いころ医師を志していたことに触れながら「全力で困難に立ち向かう皆さんに感銘を受けている。我々はそばにいる。」と述べ、同社のイタリア国内の全工場で、医療従事者用の使い捨て防護服の生産を決めました。同社は早々に、病院や政府に計200万ユーロを寄付しています。


【アルマーニ社が製造した医療用防護服】


同じく高級老舗ブランドの『プラダ』も、トスカーナ州からの支援の要請を受けて、中部ペルージャの工場で、医療従事者に提供する医療用防護服8万着とマスク11万枚の生産を開始しました


【プラダ社ニュースリリースより】


同様に、有名ファッションブランドの『グッチ』でも、トスカーナ州に提供するために、5万5千着の防護服とマスク110万枚を用意すると発表していますし、『サルヴァトーレ・フェラガモ』でも、自社工場で抗菌マスク10万枚を生産中だそうです。


こうして、著名なトップブランドのコレクションの商品を作る熟練の職人たちが、医療用の衣類やマスクの製作に従事するなんて、1ヶ月前には想像もできませんでした!


他にも、イタリアの高級車メーカー『ランボルギーニ』が、自社でマスクを製造し、地元ボローニャにある医療機関に提供すると発表しました。ランボルギーニ社によると、すでに車のインテリアとカスタマイズを担当する室内装飾部門で1日1000枚の外科用マスクを生産しているほか、複合素材を扱う製造工場と研究開発部門では3Dプリンタを活用して、1日200個の医療用保護シールドも生産していて、ボローニャの病院に直に納品しているそうです。

ランボルギーニ社は、マスクとシールドを製造するにあたって、ボローニャ大学医療外科の協力を得ており、検証テストによって医療品としての品質チェックを満たしたうえで製造を行なっているとのことです。

また、本社ビルをイタリア国旗をイメージした三色でライトアップして、イタリア全土での意思統一を促しています(カバー写真)。


【ランボルギーニ製の医療用マスクと保護シールド】

同じく、高級車メーカーの『フェラーリ』も、人工呼吸器を生産する企業への支援を表明し、自動車大手メーカーの『フィアット・クライスラー・オートモービルズ』と自動車部品サプライヤーの『マレッリ』が、フェラーリ社と一緒に、人工呼吸器の生産に携わるというニュースが報じられました。


そしてこの3社は、イタリアの人工呼吸器メーカー『シアーレ・エンジニアリング・インターナショナル・グループ(以下シアーレ)』と協力し、シアーレのパーツ生産をサポートすることになりました。

シアーレは1974年創立の医療器具メーカー、人工呼吸器分野ではイタリア最大規模で、病院用・携帯用含め12機種をラインナップしています。

シアーレの創業者であるプレツィオーザ会長は、「人工呼吸器と自動車産業の共通点として、いずれもエレクトロニクスとゴム双方に高いノウハウが必要であること」を挙げています。また、「車のエンジン工場を活用することで、製造にかかる期間を大幅に短縮できる」ということです。この“異業種間コラボレーション”によって、月産500基の人工呼吸器が生産可能になると報じられ、すでに稼働し始めています。


この他にも、リキュール酒造メーカーの『カンパリ』は、アルコール消毒剤1万5千本を製造し、被害が最も深刻な北部ロンバルディア州の病院に提供しました。

また、高級宝飾品ブランドの『ブルガリ』は、香水メーカーと提携して、消毒ジェルを生産して医療現場へ届けています。


【ブルガリ製の消毒ジェル】


イタリア政府は3月21日の首相令で、生活に直結しない産業について「企業活動の休止」を命じており、各企業は実質的に生産を中止をしていたため、アパレルメーカーも自動車関連メーカーも工場の稼働を停止していました。


そして今、自国の危機的状況のために何か力になれないかと、じっとしていられずに立ち上がり、それぞれの特性を活かして行動に移し、最前線で闘っている医療関係者に直接に支援する形で協力しているという訳です。


アルマーニ製の防護服を着て、プラダ製のマスクとランボルギーニ社の保護シールドを身に着けた医師が、ブルガリ製のジェルで消毒して、フェラーリ社の人工呼吸器を患者に装着。。。想像しただけで超ラグジュアリーでお洒落~こんな医療現場はイタリアにしか存在し得ないことでしょう!


「こうやってイタリアを代表するたくさんの企業が支え合っている限り、大丈夫、きっとすべてうまくいく!」と思わずにいられません。。。



更新日:2020年4月11日

今週の日曜日からサマータイムとなり、4月に入ってからはだいぶ日も長く感じられるようになった今日この頃です。


日本でもコロナ対策が深刻化し始めているようですが、こちらのブログでは、引き続きイタリアにおける新型コロナウィルスに関連する状況をレポートしていきたいと思います。(この記事は執筆時4月3日の現地15時現在の情報を基に書いています)


3月31日の正午に、イタリア各地の市庁舎などで半旗が掲げられ、これまでに亡くなったコロナウィルスの全犠牲者を追悼するため一分間の黙祷が捧げられました。


【ローマ ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂】


この日はイタリアで一人目の犠牲者が出た2月21日から、奇しくも40日目にあたります。

検疫を表す英語のQuarantineは、イタリア語で40日間を意味するquaranta giorniヴェネツィア方言quarantenaが語源となっているそうですが、これはヴェネツィアで14世紀にペストが大流行した時に、エジプト方面から入港する船を予防のために40日間は港に係留させたことからきているようです。


さて、これまでの感染者と死亡者の推移ですが、毎日の数字を追うよりも1週間毎の推移を比較する方が全体の流れが把握しやすいかと思い、週ごとの平均値を出してみました。

(※比較しやすいように四捨五入して数値を丸めています)


 *3/ 6-3/12 感染者増加数:1,600 死者増加数:120

 *3/13-3/19 感染者増加数:3,700 死者増加数:340

 *3/20-3/26 感染者増加数:5,600 死者増加数:680

 *3/27-4/ 2 感染者増加数:4,960 死者増加数:820


この4週間で、1日の感染者の増加が一番多かったのは、3月21日に記録した6,557人で、死亡者の増加が一番多かったのは3月27日の969人でした。

それ以降の数字はいずれも上下したものの、移動制限令が出されてから10日余りで感染のピークを迎え、さらに1週間足らずで死亡数のピークに至ったように見えます。


それでも、3月21日時点の感染者数53,578人から、9日後の30日に倍増して10万人の大台を超えるまでは1日5,000人以上のハイペースで増え続けていましたし、同じく21日時点の死亡者数4,825人から、倍増して1万人の大台を数えるまでの1週間は、1日7-800人のハイペースで増えていた訳です。


4月2日17時に更新された最新の数字は、感染者総数115,242人(米国、スペインに次ぐ世界第三位)で、死亡者は13,915人は世界第一位という位置づけです。

参考までに、回復者の総数は18,278人で、中国、スペイン、ドイツに次いで第四位となり、昨日1日だけで三千人近くが回復(直近1週間の平均では1日約1,700人ペース)したのは少ながらず朗報となっています。


そして、一昨日(4月1日)新たな首相令が出され、3月22日に発令された4月3日までの制限措置がさらに延長され、4月13日のイースター・マンデー(復活祭の祝日)までとなりました。


実は、その前日に内務省の通達が中央政府の地方代表宛てに出され、「自宅周辺に限り親のどちらか1名が自身の未成年の子供と歩くことを認める」といった記述があり、これが“拡大解釈”されてしまって、すぐに子供連れで出歩く人がたくさん見かけられたそうです。

これに対し、まだ緊張状態が続いている北イタリアの各州知事や市長たち、またナポリを州都とするカンパーニャ州知事は、とんでもないことだと猛抗議しました。


たしかに、幼稚園や学校が休校となってから既に1ヶ月以上が経過し、エネルギーの有り余っている小さな子供たちを一日中ずっと家に閉じこめているのは、親にとっても大変だし、気の毒ではあります。ある日突然、それまでの日常がガラリと変わり、特にそれが何故なのかを理解するにはまだ小さすぎる年齢の子供たちにとっても酷と言えるでしょう。

各家庭で環境は違えど、たしかに親にとっても子供にとってもストレスがたまる毎日であることは想像できます。


でも、今ちょっとでも油断して規制を緩めてしまったら、これまでの約1ヶ月の辛抱が水の泡となってしまうのだと、各知事たちも声を揃えています。

また、スペランツァ保健相(日本でいう厚生大臣)も議会で次のように発言しています。

「自制措置を4月13日まで維持して下さい。道のりはまだまだ長いし、警戒を弱める訳にはいきません。なぜならワクチンなしではウィルスを根絶させることはできないからです。」

(余談ですが、保健相の名字のスペランツァはイタリア語で「希望」を意味します。こんなご時世に、なんてドンピシャなんでしょう!…笑)


この通達は、翌日には修正して出し直されましたが、その夜のコンテ首相の会見でも、改めて今しばらく国民一人一人に規制措置の緩和ができない状況であることを説明し、理解を求めました。


コンテ首相は、この声明発表のすぐ後にテレビ番組に中継で生出演し、司会者の男性やジャーナリストへの質問に答えるような形式で、視聴者へメッセージを伝えました。


【イタリアのテレビ番組に生出演するコンテ首相】


また、その模様はインターネットでもライブ配信され、コンテ首相に対して次々と寄せられるコメントからは、多くの国民から支持され絶大の信頼を集め始めている様子がうかがえました。


【ライブ配信で書き込まれるコンテ首相へのメッセージ】


この動画は300万回以上も再生され、3万件以上のコメントが寄せられましたが、そのほとんどが首相に対する感謝の言葉と賛辞でした。

多く見受けられたのは、「この非常事態にあなたのような人が首相で良かった」「これまで政治には興味がなかったけど、やっと信頼できる国のトップに出会えた」「政治家である前に一人の人間として素晴らしい」「同じイタリア人としてあなたを誇りに思う」「誠実、聡明、エレガント、人間味がある」「あなたはトンネルの奥に見える光です」といった数々の褒め言葉です。


そして、インタビューの最後にされた質問=“今回直面した一番の困難は?”に対しての答えで、最初の感染者が発覚して対処していた時のことに触れ、“軍隊を送り込んで町を封鎖する決断をしなければならなかったこと”、そして“最初に死亡者のリストを見た時”のことと話しながら、首相は感極まって目を潤ませたのです。

これを見ていたほとんどの視聴者(私も含め)が、胸が熱くなって感動しました。そして思ったのです~「この人がこの国を引っ張ってくれている限り、大丈夫、きっとすべてうまくいく!」と。。。



<追記>3日の17時に更新された感染者数は119,827人(前日比4,585人増)、死者は14,681人(前日比766人増)となりました。まだまだ横ばい状態で予断を許しません!



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