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日本では大してニュースになっていない?ようですが、2月13日にイタリアで新政権が誕生~そして、このことをブログに書くにあたり、なんというタイトルにしようか色々と悩みました。

「イタリア新政権」とか「コロナ禍の政権交代」とか...でも、どれもしっくりこなかったので、私の個人的な想いと、前コンテ首相への敬意を表したいと、こんなタイトルにしてみました。


4ヶ月余りと長引いた一時帰国も残り数日となった一月下旬のある日…ふと目にしたニュース「イタリア首相が辞任へ!?」に、私は自分の目を疑いました。

日本滞在中は、イタリアのニュースがあまりダイレクトに入ってこなかったため、「いきなり感」が半端なかったからです。


逆に、連日のようにニュースで見聞きする日本の政権運営に色々な意味でうんざりしていた頃だったので、自分がいま住んでいる国のトップが信頼できる人で本当に良かった…とまで思い始めていたから尚更ショックでした!

「い、いったい何が起きたんだろう?」

以下、今回の首相交代劇のざっくりした経緯をまとめたいと思います。


<コンテ首相が就任した背景>

もともと、フィレンツェ大学の法学教授で弁護士としても活動していたコンテ氏は、2018年3月の総選挙後に、勝利した政党〔五つ星運動〕が過半数を取れずに連立政権となり、首相選びが混迷したため、紆余曲折を経て連立政党から推薦され、同6月にマッタレッラ大統領に指名されて首相に就任しました。


本来なら日本と同じように、与党第一党の党首が首相を務めるのが筋なのですが、イタリアでは、どの政党にも属さない無所属の、国会議員でも政治家でもない一般人が、突如として首相の座につくことがあるのは驚きですよね。でも、実は過去にも例があり、『技術政府』とか『非政治家内閣』、『実務家内閣』と呼ばれています。


こうして、コンテ内閣はこの連立政権を率いることになりました。でも、連立政権は往々にして政党間の意見の相違や政策が折り合わずに衝突することが多く、2019年8月にこの対立が激化し、「第一次コンテ内閣」が崩壊しました。

そして、与党内で協議の結果、政党の連立組み直しが行われ、マッタレッラ大統領はコンテ氏を再度指名して、同9月に「第二次コンテ内閣」が発足しました。


補足ですが、イタリアでは大統領が首相の任命権を持っていますが、基本的には、日本の天皇が形式的に首相を任命するのと同じように、大統領に実質的な任命権があるわけではないのです。ただ、内閣が崩壊して政権維持の目途が立たない場合などには、大統領は自らの主導でその後の対応を模索しなければなりません。


内閣が解散した場合、通常であれば、解散総選挙となりますが、何らかの事情で選挙が行われない場合、後継首相の選出は困難を極めます。そこで重要な役割を果たすのが大統領という訳です。大統領は調停者として各党の指導者らと協議し、合意を取り付けた上で後継首相を任命します。

しかしながら、首相および大臣が国会議員である必要はないので、政治危機を回避する目的で、非国会議員から成る実務家内閣を誕生させることができるのです。


※以前、現在のマッタレッラ大統領にスポットをあてた記事を書いているので、ご興味がある方はコチラ☜からご覧ください。


<コンテ首相の活躍と人気>

上記のように、組閣当時は「法学者に自国の経済を任せて大丈夫か?」とか、「政治経験がないのに一国の舵が取れるのか?」と、不安視する声の方が多かったのは事実です。


ところが、昨年の新型コロナウィルスの感染拡大が巻き起こった際には、その思い切った決断力やリーダーシップに称賛の声が上がり始め、何より彼の温厚な人柄や真摯な仕事ぶりに、あっという間に国民は心をとらえられました。私のような外国人でさえ、会見の度にテレビに見入り、首相のSNSまでフォローしていたほどです!


そんな当時の様子を、こちらのブログで私なりにお伝えしたのが以下の記事です。




もちろん、全国民からの支持を得ていた訳ではありませんし、国会の中でも野党からの批判や反対勢力はありました。また、複数政党が常に小競り合いを続けているイタリアの国会を通さず、緊急事態宣言を延長しながら内閣主導で物事を進めてきた手法を「独裁者」と批判する意見もありました。

中には采配ミスもあったでしょうし、経済援助がなかなか進まないとか、規則が頻繁に変わるとか、その他の批判もいっぱい出ました。でも批判するのは簡単ですよね?けれど、批判していた人たちは、果たして代わりの解決策を持っていたのでしょうか?


去年の3月、欧米諸国で最初に感染が拡大し、イタリア中が完全にパニック状態になっていた時に、全国ロックダウンに踏み切り、国民に向けてテレビやインターネットで会見を繰り返し、説得しつづけたコンテ首相・・・経済を全部ストップさせちゃうなんて決心するのは、並大抵のことではなかったはずです。

その後、イタリアのとった政策は、続いて感染が拡がったスペインやフランス、イギリスのモデルにもなりました。


新型コロナウィルスが全く未知のもので、あれよあれよという間に感染者が拡がり、毎日のように何百人もの人が亡くなっていき、誰もが不安で仕方がなかったあの時期・・・イタリア国民や在住者にとって、コンテ首相の会見だけが唯一の指針だったのです。


結果だけ見たら、辞任した時点(1月26日)でイタリアの死者数は8万5千人を超え、経済の停滞により、倒産した企業やたくさんの失業者も出ました。でも、こんな世界規模のパンデミックに直面して、誰が首相をやっても100%の成功なんてあり得ないはずです。

死者数の話をするなら、そもそも過去の政権の失策のせいで、医療施設への予算を大幅にカットして病院を減らしたり、適切な報酬を出さずに優秀な医師を海外に放出してしまったことが医療崩壊を招いた訳ですから、その責任の方がずっと重いでしょう。

むしろ、コンテ首相が敢行した厳しい規制政策のおかげで、イタリアは何とか持ちこたえてきたと言えるのではないでしょうか?


<首相交代劇が起きた経緯>

さて、どこの世界にも「人気者をやっかむ輩」というのは存在しますよね。それが、コロナ危機を利用して、苦しむコンテ首相から政治の主導権を奪おうとしたレンツィ元首相(2014~2016年在任)でした。


フィレンツェ市長を経て、当時イタリア史上でも最年少の39歳の若さで首相になった時は、「ベルルスコーニ氏に取って代わる風雲児」…とまで言われたこともあるのですが、性急な改革を推進した結果、憲法改正の是非を問う国民投票に自身の進退をかけて敗北し、退陣しています。


「壊し屋」の異名を持つレンツィ氏は、所属していた民主党での内部対立の末に離党し、第二次コンテ政権発足直後の2019年3月に、離党の際に引き連れた少数議員とともに新党〔イタリア・ヴィーヴァ〕を立ち上げ、引き続きコンテ政権を支えると表明して、連立政権に参画していました。


ところが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大の局面では、欧州連合(EU)からの復興資金(リカバリーファンド)の活用の仕方をめぐって、「将来への投資を重視していない」などと、たびたび政府案を批判し続け、コンテ首相との対立が生じるようようになりました。


そもそもこの復興資金だって、コンテ首相が奔走して交渉をし続けて決まったものなのです。そのおかげで、イタリア一国ではどうにもならない経済的な窮地を、EUから多額の経済支援を得ることで、ワクチンを確保することもできている訳です。

そのお金の使い道を決める段階になって、それまで目立った仕事もしてこなかった(ように見える)各与野党の党首たちがいきなり大声になり、政争が再燃したという構図です。


2021年1月13日、ついにレンツィ氏は、内閣から自党の2名の閣僚を辞任させ、連立政権からの離脱を表明しました。連立与党の一角を担っていた彼の少数政党は、実は議会のたった2%程に過ぎませんが、彼らなしでは連立与党は過半数を維持できなくなり、コンテ政権は窮地に追い込まれてしまったのです。


しかし、1月18日・19日の両日、上・下両院で行われた信任投票の採決で、レンツィ氏の党の所属議員が棄権や欠席に回ったこともあって、信任決議はいずれも可決されました。

つまり、新型コロナウイルス危機に乗じて存在感をアピールしようと政局混乱を仕掛けたレンツィ氏の画策は失敗に終わり、国民から非難を浴び、党の支持率も下がりました。


新任投票を乗り切ったとはいえ、上院では安定多数に届かず、過半数議席を失った状態での政権運営が苦しい状況は変わらなかったため、とうとう1月26日に、コンテ首相が辞任を表明しました。


この時点では、コンテ首相はいったん辞任して、前回の時のように、マッタレッラ大統領から再び首相指名を受けることを視野に入れていました。実際に、野党の少数政党に協力を呼びかけて過半数の確保を働きかけたそうです。


それはそうでしょう。緊急事態を宣言してからちょうど1年~国民のために、イタリアを再生するために、ほとんど休みも取らずに国政に邁進してきたのですから、志半ばで放り出せるはずもありません。


1月28日、マッタレッラ大統領は、コンテのもとで新たに過半数議席の与党勢力を作るために、フィーコ下院議長に各党間の調整を命じました。ところが、調整がうまくいかず、「第三次コンテ再組閣」を断念せざるを得ませんでした。


<大統領の出した結論>

2月2日、マッタレラ大統領が会見を開き、経緯と現状の説明をして国民に理解を求めました。

【官邸で会見するマッタレッラ大統領】


大統領は、まず、コンテ前政権の再編が叶わなかった今、残された道は二つであること~一つは、この緊急事態に対応できる新政権を発足させること、もう一つは、総選挙の前倒しであること…と述べた上で、ウィルスとの闘いが続く中、ワクチン接種を円滑に進めなければいけない状況で、政府の機能を停める訳にはいかないことを強調しました。


通常でも、議会を解散してから選挙が行われるまでに2ヶ月は要し、政権が発足してから機能し始めるまで、過去においても、実際に4-5ヶ月と長期間かかった例をあげました。

また、変異種の問題も抱える進行中のパンデミックの最中に、選挙運動にともなって盛んに展開されるであろう各集会を、ソーシャルディスタンスをとりながら行なうことは不可能であると懸念を伝えました。


さらに、4月中にEU経済資金に関する最終計画書を提出する必要があり、EU委員会とイタリア政府間で検討するのに2ヶ月、EU委員会の承認を得るのに1ヶ月かかること、そうして得た資金を活用するのに、政府の機能が縮小されることは許されないと続けました。


一言でいえば、選挙をしている余裕はないということで、政治的色合いをもたない新政府形成の任務を早急に出すと結論付けたようです。つまり、大統領が適任と思われる人物を選び、臨時政権形成する、ということで、その人事権が大統領に一任された訳です。


この記者会見後しばらくして、マリオ・ドラギ氏に大統領府への招聘があったことが発表されました。イタリア銀行総裁を歴任後、2019年まで欧州中央銀行(ECB)総裁だった経済学者です。


そして、会見の翌日2月3日に、ドラギ氏が正式に時期首相候補として指名され、組閣作業を要請されました。


今回、大統領がドラギ氏というEU中央銀行の元総裁を新しい首相に指名した背景には、EU復興基金の受け取りをスムーズに進めたいという思惑もあるだろうと言われています。

イタリアにとって、とにかく今は“財源を得る”ということが最優先事項なのです。


<新政権の誕生と首相交代>

指名を受けたドラギ氏が、国会でも無事に承認を受け、新内閣を正式に発足させたのは、それから10日後の2月13日のことです。

大統領官邸のクイリナーレ宮殿で、新閣僚とともに「就任宣誓式」が執り行われました。


その後、首相官邸のキージ宮殿で、コンテ前首相からの引継ぎを受け、それを表わす儀式「ベルの移譲」(閣議招集を知らせる呼び鈴の引渡し)が行われました。

【首相交代の儀式=ベルの移譲】


この儀式の直後に、コンテ前首相は首相官邸を去っていきました。その時の模様を動画で共有したいと思います。(3分程ありますが、特に2分辺りからに注目です!)


【コンテ前首相が官邸を去る時の様子】


官邸の職員たちから、これまでの労をねぎらうように、そして感謝の気持ちを込めて、大拍手が巻き起こって見送られたのです。

いつまでも鳴り止まない拍手に応えるように、中庭に戻って、窓から送り出す職員たちに手を振るコンテ前首相の姿に、たくさんの人が感銘を受けたことでしょう。


私もその一人として、改めて言っておきたいと思います。

「コンテ首相、これまで本当にありがとうございました!そして、お疲れ様でした!!」



追記:首相が官邸を去る時に、このように大きな拍手が起こったのは、2011年のベルルスコーニ元首相(第4次内閣時)の時以来2度目だそうです。


※上記の写真や動画はネットニュースよりお借りしました。



更新日:2021年2月20日

昨年の11月から部分的なロックダウンを実施しているイタリア~もうすぐ3ヶ月が経過しようとしています。

基本的には、感染拡大の危険度に応じて、州ごとに「レッド」「オレンジ」「イエロー」の3つのゾーンに分けて、それぞれに規制内容が設定される方式でしたが、年末から年始にかけては、日程でイタリア全土をレッドにしたりオレンジにしたり…と、何とか感染の拡大を抑えようと色々な苦肉の策を講じてきました。

そして、今も見直しが行われる度に、イタリア半島の塗り絵は変化の様相を呈しています。


<イタリアの感染状況の推移>

では、イタリアのその後の感染状況を数字で比較してみたいと思います。(この記事は執筆時1月29日現在の情報を基に書いています)


過去8週間(12月&1月)の推移を1日の増加数の週ごとの平均値で見てみましょう。

1週間のトータル数ではなく、一日あたりなのでお間違えなく!!


   *12/ 4-12/10 感染者数:17,474 死者数:655 回復者数:25,884  

   *12/11-12/17 感染者数:16,990 死者数:656 回復者数:25,117

   *12/18-12/24 感染者数:12,610 死者数:526 回復者数:20,139

   *12/25-12/31 感染者数:13,978 死者数:466 回復者数:16,904  

   * 1/ 1- 1/ 7 感染者数:16,171 死者数:447 回復者数:15,558

   * 1/ 8- 1/14 感染者数:16,560 死者数:508 回復者数:17,434

   * 1/15- 1/21 感染者数:13,135 死者数:479 回復者数:19,057  

   * 1/22- 1/28 感染者数:12,471 死者数:454 回復者数:18,008  


ご覧のように、新規感染者数も死者数も横ばい状態で、部分的なロックダウンを行なったにもかかわらず、劇的な減り方はしていないのが分かります。


イタリア全国の1月28日現在の累計感染者数は約250万人を超え、人口が約6千万人なので、およそ4%強、つまり25人に一人が感染した計算となります。

日本と比較すると、1月28日現在の累計感染者数は約38万人で、人口約1億2千万人とすると、およそ0.3%強、つまり333人に一人が感染した計算です。


また、日本の1月28日現在の累計死者数は約5千人強なのに対し、人口が半分のイタリアでは、すでに約8万7千人が亡くなっているという悲しい現実です。


<イタリア一年のまとめ>

新型コロナウィルスが欧州で最初にイタリアで報告されてから、11ヶ月が経ちます。

そこで、改めてこれまでの経緯をデータで振り返ってみたいと思います。

以下、イタリア保健省の公式HPに掲載されている感染状況の推移をグラフ化したものをご覧ください。

【感染状況の推移】


第一波のピークが昨年3月21日の6,557人で、その後は徐々に減少し、夏の間はだいぶ落ち着いていたのが分かります。そして10月に入った頃から再び感染者増え始め、いわゆる第二波に見舞われました。

第二波は、第一波の時を大きく上回る数字で、ピークの11月13日には4万人超を記録したのです。

【累計感染者数】


【累計死者数】


そして、このブログ用に集計した数字を基に、イタリア国内の月ごとの一日当たりの平均の新規感染者と死者数を出してみました。

これはあくまで、私がこちらに掲載してきた推移を集計して月ごとに出し直してみた数字なので、公式に発表されているものとは異なっているかも知れないことをお断りしておきますね。(比較しやすいように数字も丸めています)


   *2020年03月 感染者数: 3,970 死者数:490

   *2020年04月 感染者数: 3,220 死者数:500

   *2020年05月 感染者数: 940 死者数:180

   *2020年06月 感染者数: 290 死者数: 50  

   *2020年07月 感染者数: 220 死者数: 10

   *2020年08月 感染者数: 570 死者数: 10

   *2020年09月 感染者数: 1,500 死者数: 10  

   *2020年10月 感染者数:10,360 死者数: 80

   *2020年11月 感染者数:31,900 死者数:530

   *2020年12月 感染者数:15,260 死者数:580  

   *2021年01月 感染者数:14,580 死者数:350


お間違えの無いように・・・こちらの数字は1日当たり平均です!

夏の間は死者数が1日平均10名ほどと、このまま収束していくのを期待していたのに、秋以降の爆発的な第二波で、12月には第一波の時の死者数を超えてしまいました💦


<ワクチンについて>

次は、いま毎日のようにニュースで話されているワクチン接種について触れたいと思います。

世界全体の累計接種回数は1月27日までに8166万回を超えています。米国、中国の接種回数が突出し、2カ国で全体の58%以上を占めている計算です。

欧州各国でも普及が進んでいて、イタリアでも昨年末に最初の接種が行われました。


今月半ばに目にしたニュースでは、EU諸国ではイタリアのスピード感が目立ち、接種者数でもトップでした(英国はEUを離脱済み)。ヨーロッパの中では、フランスがワクチンに対して消極的な考えの人が多く、遅れを取っているというものでした。

【テレビの画面を撮影】


以下がワクチンの接種状況の最新のチャートになります。人口あたりの接種回数ではイスラエルが目立ち、単純計算では3人に1人以上が接種を終えたことになります。また、中東産油国のバーレーンやアラブ首長国連邦(UAE)も上位にいます。やはりオイルマネーのなせる技でしょうか?(苦笑)

【日本経済新聞ネットニュースより】


アジア諸国でもインドネシアなど接種が始まっている国がある中、日本の初動はあまりにも遅すぎると言わざるを得ません。

今年の夏にオリンピックの開催を控えているなら、本来なら世界のどこよりも早く対応するべきだったのに。。。


ワクチンの件だけではありません。昨年3月に欧州初の感染爆発がイタリアで起きていた時、日本のワイドショーやニュースなどでは連日のように「イタリア医療崩壊!」というテーマで取り上げられていました。

きっとその時は、そんな状況が日本でも起こるなどとは夢にも思わなかったのでしょう。

あの時に、母国のことを心配し、日本が二の舞にならないようにと警鐘をならしていた海外在住の日本人をたくさん知っています。

なぜこの一年、オリンピックの延期が決まっていたにもかかわらず、日本の政府は「最悪の事態」を想定して準備をしてこなかったのでしょうか?!


<まとめ>

世界の累計感染者数も、ついに1億人を超え、様々な変異種まで出てきてしまって、ワクチンの争奪戦まで起きている世の中~果たしてワクチンが変異種に効くのか?!そして、後進国にまで行き渡るのか!?


イタリアに居ても日本に居ても、心配事は尽きない毎日ですが、日本の国会中継を見ていて絶望するよりは、たとえ感染状況が桁違いに多くても、首相の国民へのメッセージがダイレクトに響くところにいる方が安心できるなぁ~と思っていた矢先に。。。


イタリアの政界で内紛が起こり、コンテ首相が辞任に追い込まれてしまったのです!これまで、休むことなく国民のために働き、信頼されていたコンテ首相だったのに、なんでこんなことに。。。こんな大事な時に内閣不在だなんて!!


そろそろ時間切れなので、この経緯と顛末については、ミラノに戻ってからレポートしたいと思います。

EUが日本からの入国を再規制するというニュースが報道された中、今から空港へ向けて出発~果たして無事にイタリアに入国できるか、コロナ禍の緊張のフライトです🛬


ミラノがあるロンバルディア州は、今年になってから「レッド」⇒「オレンジ」と状況は少し良くなり、私が到着する翌日から「イエロー」になるという、少し明るいニュースを耳にしたばかりです。

それでも、また14日間の隔離期間が待っているのですが、こちらで引き続きイタリアの様子を更新していきたいと思います。



更新日:2021年1月29日

私が昨年の9月後半に一時帰国をしてから、あっという間に4ヶ月余りが経過しました。

当初は2ヶ月程の滞在予定だったのですが、諸事情でイタリアへの出発を延長し、日本で年を越すことになりました。


こちらのブログでも、新年のご挨拶を兼ねて、イタリアの状況をアップデートしたかったのですが、なかなかパソコンに向かう時間が取れず先延ばしにしているうちに、間もなく1月も終わろうとしています。


前回のブログ更新からも2ヶ月近くが経過してしまったので、今回は、この間のざっくりとした経緯をご報告しつつ、今回4ヶ月の日本滞在で感じたことを書きたいと思います。


まずは、日本での滞在を延長するにあたり、私の留守中ミラノで独りで頑張ってくれていた夫を日本に呼び寄せることにしました。

例年であれば、イタリアの家族とクリスマスを過ごしてから来日をしていた夫も、昨年は彼の母親が施設に入所したため、感染状況が悪化していたイタリアにいるよりは、妻の待つ日本へ来て、クリスマスとお正月を日本の家族と一緒に過ごせた方が良いのでは...となったからです。


現在も、観光目的など一般の外国人の日本への入国は認められていませんが、日本人配偶者がいる場合には、いわゆる「家族ビザ」を取得することで渡航ができます。

ビザ取得のために、日本から戸籍謄本やその他の必要書類をEMS(国際スピード郵便)で送り、ミラノ領事館で申請手続きをし、航空券を手配し、また出発前にPCR検査をして陰性証明書の取得が必要でした。


時間と手間はかかったものの、なんとか渡航の目途も立ち、あとはクリスマスを目前に控えた12月中旬に出発するばかりとなった頃、お隣のドイツが全土でロックダウンに入るというニュースを聞き不安が拡がりました。

なぜなら、イタリアからの唯一の直行便であるアリタリア航空が昨年の3月から飛ばなくなってしまったため、夫の飛行ルートは、ミラノ⇒フランクフルト⇒東京という、ドイツ経由のフライトだったからです!


嫌な予感が的中し、出発前日の段階になって夫から下の写真が送られてきました。

【飛行機のオンライン・チェックイン画面】


乗継ぎをするフランクフルトまでの便を、オンラインでチェックインしようとした際のルフトハンザ航空のエラーメッセージには、英語で「イタリアからの乗客は入国することができません」と書いてあるのです!!


夫が航空会社に電話して確認したところ、渡航書類(=ビザ)を所有していれば乗継ぎは可能とのことでしたが、オンラインでのチェックインは対応を停めているのでエラーになったようです。


このコロナ禍で、予約していたフライトが直前にキャンセルになったという話も度々耳にしていたので、一番の不安要素だったのが飛行機が予定通りに飛ぶかどうかだったのですが、夫はなんとか無事に出発できました。


日本に到着後は、空港から公共の交通機関(タクシーを含め)が利用できないため、家族が迎えに行く必要があります。迎えがいない場合は、ハイヤーを手配するか、自身でレンタカーを借りて運転するか、あるいは空港近くのホテルで2週間の隔離をしてから移動するか、という選択肢になります。


幸い、私の時も今回も、甥っ子が空港に迎えに来てくれるというので、羽田で待合せして夫の到着を待ち、家まで送ってもらいました。


【羽田空港の国際線到着案内】


上の写真は、夫が到着した日の国際線の案内板ですが、ご覧のようにほとんどの航空便が欠航となっています。わずかに数本だけでも運航してくれているのは本当に有難い...実際に、到着ロビーは閑散とした様子でした💦


かくして、3ヶ月ぶりに夫と再会~電話で毎日のように連絡は取り合ってはいたものの、やはり顔を見ると安心できました🥰


夫の渡航前後には、英国で変異型のウィルスが驚異的な拡がりを見せて、イタリアは直ぐにイギリスからのフライトを停止...中には英国で足止めされた旅行者や自国に帰れなくなってしまった人もいたと聞いています。

そして、この影響で日本も再び海外からの外国人の入国を再規制し始めたので、まさにギリギリのタイミングとなった訳です!


私が日本に到着した時は、LINEアプリで登録したので、「厚生労働省の帰国者フォローアップ窓口」から、14日間は毎朝のように体調確認のチャットが入り、それに返答をしていました。

夫も、到着翌日から14日間は基本的に自宅待機(=自主隔離)となったのですが、実はこの間一度も保健所等からの連絡はありませんでした。

おそらく保健所もマンパワーが足りなくて、入国者一人一人に手作業で連絡をするような余裕がなかったのでしょう。。。


クリスマス当日は、下の姪の誕生日ということもあり、姉家族が集まって賑やかに過ごすことができました。

お正月は、私の母も退院後のリハビリ施設に入所中のため、いつもと違う雰囲気ではあったものの、兄や姉家族と年を越し、隔離期間ながらも無事に新年を迎えられました。


そして、年末から年始にかけてはご存知のように、日本の感染状況が著しく悪化し、東京と近県では、新年早々に二度目の緊急事態宣言が発令されてしまいました。

ロックダウン中のイタリアから遥々日本まで来て、2週間の隔離期間が終わった途端に、今度は日本でも外出自粛という流れ。。。


私が滞在を延ばし、夫を呼び寄せようという話が浮上した10月下旬は、まだ日本では「Go toトラベル」キャンペーンが盛り上がっている頃だったので、夫が無事に来日できたら、夏に実現できなかった家族旅行へ行こうという話も出ていたのですが、その後は事態がすっかり変わってしまいました💦


どこにも出かけられなくなってしまった可哀想な夫は、近所の土手にランニングに行ったり、自転車で出かけられる範囲を周遊したりと、ある意味で特別な日本滞在となりました。


さて、少し長くなってしまったので、イタリアの状況のアップデートについては、続編として書くことに致しますね!



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