top of page

コンテ首相お疲れ様でした

  • 執筆者の写真: 舞緒ルイ
    舞緒ルイ
  • 2021年2月23日
  • 読了時間: 10分

日本では大してニュースになっていない?ようですが、2月13日にイタリアで新政権が誕生~そして、このことをブログに書くにあたり、なんというタイトルにしようか色々と悩みました。

「イタリア新政権」とか「コロナ禍の政権交代」とか...でも、どれもしっくりこなかったので、私の個人的な想いと、前コンテ首相への敬意を表したいと、こんなタイトルにしてみました。


4ヶ月余りと長引いた一時帰国も残り数日となった一月下旬のある日…ふと目にしたニュース「イタリア首相が辞任へ!?」に、私は自分の目を疑いました。

日本滞在中は、イタリアのニュースがあまりダイレクトに入ってこなかったため、「いきなり感」が半端なかったからです。


逆に、連日のようにニュースで見聞きする日本の政権運営に色々な意味でうんざりしていた頃だったので、自分がいま住んでいる国のトップが信頼できる人で本当に良かった…とまで思い始めていたから尚更ショックでした!

「い、いったい何が起きたんだろう?」

以下、今回の首相交代劇のざっくりした経緯をまとめたいと思います。


<コンテ首相が就任した背景>

もともと、フィレンツェ大学の法学教授で弁護士としても活動していたコンテ氏は、2018年3月の総選挙後に、勝利した政党〔五つ星運動〕が過半数を取れずに連立政権となり、首相選びが混迷したため、紆余曲折を経て連立政党から推薦され、同6月にマッタレッラ大統領に指名されて首相に就任しました。


本来なら日本と同じように、与党第一党の党首が首相を務めるのが筋なのですが、イタリアでは、どの政党にも属さない無所属の、国会議員でも政治家でもない一般人が、突如として首相の座につくことがあるのは驚きですよね。でも、実は過去にも例があり、『技術政府』とか『非政治家内閣』、『実務家内閣』と呼ばれています。


こうして、コンテ内閣はこの連立政権を率いることになりました。でも、連立政権は往々にして政党間の意見の相違や政策が折り合わずに衝突することが多く、2019年8月にこの対立が激化し、「第一次コンテ内閣」が崩壊しました。

そして、与党内で協議の結果、政党の連立組み直しが行われ、マッタレッラ大統領はコンテ氏を再度指名して、同9月に「第二次コンテ内閣」が発足しました。


補足ですが、イタリアでは大統領が首相の任命権を持っていますが、基本的には、日本の天皇が形式的に首相を任命するのと同じように、大統領に実質的な任命権があるわけではないのです。ただ、内閣が崩壊して政権維持の目途が立たない場合などには、大統領は自らの主導でその後の対応を模索しなければなりません。


内閣が解散した場合、通常であれば、解散総選挙となりますが、何らかの事情で選挙が行われない場合、後継首相の選出は困難を極めます。そこで重要な役割を果たすのが大統領という訳です。大統領は調停者として各党の指導者らと協議し、合意を取り付けた上で後継首相を任命します。

しかしながら、首相および大臣が国会議員である必要はないので、政治危機を回避する目的で、非国会議員から成る実務家内閣を誕生させることができるのです。


※以前、現在のマッタレッラ大統領にスポットをあてた記事を書いているので、ご興味がある方はコチラ☜からご覧ください。


<コンテ首相の活躍と人気>

上記のように、組閣当時は「法学者に自国の経済を任せて大丈夫か?」とか、「政治経験がないのに一国の舵が取れるのか?」と、不安視する声の方が多かったのは事実です。


ところが、昨年の新型コロナウィルスの感染拡大が巻き起こった際には、その思い切った決断力やリーダーシップに称賛の声が上がり始め、何より彼の温厚な人柄や真摯な仕事ぶりに、あっという間に国民は心をとらえられました。私のような外国人でさえ、会見の度にテレビに見入り、首相のSNSまでフォローしていたほどです!


そんな当時の様子を、こちらのブログで私なりにお伝えしたのが以下の記事です。




もちろん、全国民からの支持を得ていた訳ではありませんし、国会の中でも野党からの批判や反対勢力はありました。また、複数政党が常に小競り合いを続けているイタリアの国会を通さず、緊急事態宣言を延長しながら内閣主導で物事を進めてきた手法を「独裁者」と批判する意見もありました。

中には采配ミスもあったでしょうし、経済援助がなかなか進まないとか、規則が頻繁に変わるとか、その他の批判もいっぱい出ました。でも批判するのは簡単ですよね?けれど、批判していた人たちは、果たして代わりの解決策を持っていたのでしょうか?


去年の3月、欧米諸国で最初に感染が拡大し、イタリア中が完全にパニック状態になっていた時に、全国ロックダウンに踏み切り、国民に向けてテレビやインターネットで会見を繰り返し、説得しつづけたコンテ首相・・・経済を全部ストップさせちゃうなんて決心するのは、並大抵のことではなかったはずです。

その後、イタリアのとった政策は、続いて感染が拡がったスペインやフランス、イギリスのモデルにもなりました。


新型コロナウィルスが全く未知のもので、あれよあれよという間に感染者が拡がり、毎日のように何百人もの人が亡くなっていき、誰もが不安で仕方がなかったあの時期・・・イタリア国民や在住者にとって、コンテ首相の会見だけが唯一の指針だったのです。


結果だけ見たら、辞任した時点(1月26日)でイタリアの死者数は8万5千人を超え、経済の停滞により、倒産した企業やたくさんの失業者も出ました。でも、こんな世界規模のパンデミックに直面して、誰が首相をやっても100%の成功なんてあり得ないはずです。

死者数の話をするなら、そもそも過去の政権の失策のせいで、医療施設への予算を大幅にカットして病院を減らしたり、適切な報酬を出さずに優秀な医師を海外に放出してしまったことが医療崩壊を招いた訳ですから、その責任の方がずっと重いでしょう。

むしろ、コンテ首相が敢行した厳しい規制政策のおかげで、イタリアは何とか持ちこたえてきたと言えるのではないでしょうか?


<首相交代劇が起きた経緯>

さて、どこの世界にも「人気者をやっかむ輩」というのは存在しますよね。それが、コロナ危機を利用して、苦しむコンテ首相から政治の主導権を奪おうとしたレンツィ元首相(2014~2016年在任)でした。


フィレンツェ市長を経て、当時イタリア史上でも最年少の39歳の若さで首相になった時は、「ベルルスコーニ氏に取って代わる風雲児」…とまで言われたこともあるのですが、性急な改革を推進した結果、憲法改正の是非を問う国民投票に自身の進退をかけて敗北し、退陣しています。


「壊し屋」の異名を持つレンツィ氏は、所属していた民主党での内部対立の末に離党し、第二次コンテ政権発足直後の2019年3月に、離党の際に引き連れた少数議員とともに新党〔イタリア・ヴィーヴァ〕を立ち上げ、引き続きコンテ政権を支えると表明して、連立政権に参画していました。


ところが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大の局面では、欧州連合(EU)からの復興資金(リカバリーファンド)の活用の仕方をめぐって、「将来への投資を重視していない」などと、たびたび政府案を批判し続け、コンテ首相との対立が生じるようようになりました。


そもそもこの復興資金だって、コンテ首相が奔走して交渉をし続けて決まったものなのです。そのおかげで、イタリア一国ではどうにもならない経済的な窮地を、EUから多額の経済支援を得ることで、ワクチンを確保することもできている訳です。

そのお金の使い道を決める段階になって、それまで目立った仕事もしてこなかった(ように見える)各与野党の党首たちがいきなり大声になり、政争が再燃したという構図です。


2021年1月13日、ついにレンツィ氏は、内閣から自党の2名の閣僚を辞任させ、連立政権からの離脱を表明しました。連立与党の一角を担っていた彼の少数政党は、実は議会のたった2%程に過ぎませんが、彼らなしでは連立与党は過半数を維持できなくなり、コンテ政権は窮地に追い込まれてしまったのです。


しかし、1月18日・19日の両日、上・下両院で行われた信任投票の採決で、レンツィ氏の党の所属議員が棄権や欠席に回ったこともあって、信任決議はいずれも可決されました。

つまり、新型コロナウイルス危機に乗じて存在感をアピールしようと政局混乱を仕掛けたレンツィ氏の画策は失敗に終わり、国民から非難を浴び、党の支持率も下がりました。


新任投票を乗り切ったとはいえ、上院では安定多数に届かず、過半数議席を失った状態での政権運営が苦しい状況は変わらなかったため、とうとう1月26日に、コンテ首相が辞任を表明しました。


この時点では、コンテ首相はいったん辞任して、前回の時のように、マッタレッラ大統領から再び首相指名を受けることを視野に入れていました。実際に、野党の少数政党に協力を呼びかけて過半数の確保を働きかけたそうです。


それはそうでしょう。緊急事態を宣言してからちょうど1年~国民のために、イタリアを再生するために、ほとんど休みも取らずに国政に邁進してきたのですから、志半ばで放り出せるはずもありません。


1月28日、マッタレッラ大統領は、コンテのもとで新たに過半数議席の与党勢力を作るために、フィーコ下院議長に各党間の調整を命じました。ところが、調整がうまくいかず、「第三次コンテ再組閣」を断念せざるを得ませんでした。


<大統領の出した結論>

2月2日、マッタレラ大統領が会見を開き、経緯と現状の説明をして国民に理解を求めました。

【官邸で会見するマッタレッラ大統領】


大統領は、まず、コンテ前政権の再編が叶わなかった今、残された道は二つであること~一つは、この緊急事態に対応できる新政権を発足させること、もう一つは、総選挙の前倒しであること…と述べた上で、ウィルスとの闘いが続く中、ワクチン接種を円滑に進めなければいけない状況で、政府の機能を停める訳にはいかないことを強調しました。


通常でも、議会を解散してから選挙が行われるまでに2ヶ月は要し、政権が発足してから機能し始めるまで、過去においても、実際に4-5ヶ月と長期間かかった例をあげました。

また、変異種の問題も抱える進行中のパンデミックの最中に、選挙運動にともなって盛んに展開されるであろう各集会を、ソーシャルディスタンスをとりながら行なうことは不可能であると懸念を伝えました。


さらに、4月中にEU経済資金に関する最終計画書を提出する必要があり、EU委員会とイタリア政府間で検討するのに2ヶ月、EU委員会の承認を得るのに1ヶ月かかること、そうして得た資金を活用するのに、政府の機能が縮小されることは許されないと続けました。


一言でいえば、選挙をしている余裕はないということで、政治的色合いをもたない新政府形成の任務を早急に出すと結論付けたようです。つまり、大統領が適任と思われる人物を選び、臨時政権形成する、ということで、その人事権が大統領に一任された訳です。


この記者会見後しばらくして、マリオ・ドラギ氏に大統領府への招聘があったことが発表されました。イタリア銀行総裁を歴任後、2019年まで欧州中央銀行(ECB)総裁だった経済学者です。


そして、会見の翌日2月3日に、ドラギ氏が正式に時期首相候補として指名され、組閣作業を要請されました。


今回、大統領がドラギ氏というEU中央銀行の元総裁を新しい首相に指名した背景には、EU復興基金の受け取りをスムーズに進めたいという思惑もあるだろうと言われています。

イタリアにとって、とにかく今は“財源を得る”ということが最優先事項なのです。


<新政権の誕生と首相交代>

指名を受けたドラギ氏が、国会でも無事に承認を受け、新内閣を正式に発足させたのは、それから10日後の2月13日のことです。

大統領官邸のクイリナーレ宮殿で、新閣僚とともに「就任宣誓式」が執り行われました。


その後、首相官邸のキージ宮殿で、コンテ前首相からの引継ぎを受け、それを表わす儀式「ベルの移譲」(閣議招集を知らせる呼び鈴の引渡し)が行われました。

【首相交代の儀式=ベルの移譲】


この儀式の直後に、コンテ前首相は首相官邸を去っていきました。その時の模様を動画で共有したいと思います。(3分程ありますが、特に2分辺りからに注目です!)


【コンテ前首相が官邸を去る時の様子】


官邸の職員たちから、これまでの労をねぎらうように、そして感謝の気持ちを込めて、大拍手が巻き起こって見送られたのです。

いつまでも鳴り止まない拍手に応えるように、中庭に戻って、窓から送り出す職員たちに手を振るコンテ前首相の姿に、たくさんの人が感銘を受けたことでしょう。


私もその一人として、改めて言っておきたいと思います。

「コンテ首相、これまで本当にありがとうございました!そして、お疲れ様でした!!」



追記:首相が官邸を去る時に、このように大きな拍手が起こったのは、2011年のベルルスコーニ元首相(第4次内閣時)の時以来2度目だそうです。


※上記の写真や動画はネットニュースよりお借りしました。



Comments


bottom of page