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更新日:2021年11月4日


気が付いたら今日で9月も終わり。。。1ヶ月以上のご無沙汰となってしまいました💦

ちょうど遅めの夏休みでイタリア国内を旅行したり、ミラノに戻って間もなくは見本市のアテンドのお仕事があったり、そして来週からの南イタリアツアーの準備などで日々忙しくしております。

さて、間が空いてしまいましたが、前回のヴェローナ・レポートに続き、今回はヴェローナの「夏の風物詩」として世界的にも有名な野外オペラの観劇レポートをお届け致します!

(そう、ヴェローナ訪問の目的は、このオペラ観劇だったのです。終演が真夜中になるため、実際にはヴェローナに1泊したのですが、連載ではミラノからの日帰り都市としてご紹介しました。)


毎年6月下旬から8月末まで、ほぼ毎晩のように公演が行われる野外オペラ・フェスティバルは、1913年にジュゼッペ・ヴェルディ生誕100年を記念して開催が始まりました。以降、二度の世界大戦による休止期を除いて、世界最大規模の定期屋外オペラ会場として、ここアレーナ・ディ・ヴェローナは利用されています。(オペラのない時期も、一般公開されていて内部の見学が可能です。)

では、入口から中へと入ってみましょう。こちらでチケットのチェックをしています。入場口は座席カテゴリーごとに分かれていますので、チケットに記載されているゲート番号を確認して下さい。

ヴェローナの野外オペラがここまで有名になったのは、その巨大な舞台ならではの壮大な演出に加え、古代ローマ時代の大理石遺構の醸し出す独特の雰囲気が通常のオペラハウスとは違った魅力が味わえること、そして音響的にも優れていて、バックスタンド席でステージ上の息遣いが聞こえるほどだと言われています。また、出場する歌手・指揮者・演出家も当代最高レベルのもので、たとえば、マリア・カラスが1947年のイタリア・デビューをこのアレーナ・ディ・ヴェローナで飾ったことは、オペラファンに限らず良く知られているところです。

長径139メートル、短径110メートルの楕円形のこの闘技場は、紀元後30年頃(ローマのコロッセオよりも古い)に完成したと考えられていますが、正確な日時は特定されていないそうです。もともとはローマ時代の都市を防御していた壁の外側に位置していましたが、市域の移動に伴い、現在ではヴェローナ市街地のほぼ中心に位置しています。

観客席は44段の大理石製で、当時の収容人数は約25,000人であったとされています。外観は2階建てのアーチ造りで、創建当初はさらに外周に3階構造のアーチをもつ外壁が存在していましたが、1117年の地震で大部分が倒壊してしまい、僅かにその遺構(写真上)を北西部に留めるのみです。

現在は、舞台設定にもよりますが、満席で約1万6千人の観客を収容できるそうです。

今回、私が観劇したのは、ここヴェローナでも一番人気のあるヴェルディの「アイーダ」です。

7月の初旬だったので、日はまだまだ長く、開演時刻の21時近くでもこの明るさです。通常は舞台下に隠れてしまうオーケストラもスタンバイしている様子が見え、指揮者の登場を待っています。

平土間のほぼ中央とかなり良い席だったせいか、屋外なのに周りの観客がドレスアップしているのには驚きました。スタンド席の方はカジュアルな服装の人が多かったです。外国人(イタリア人以外という意味)のお客様もたくさん来ていました。

「アイーダ」のお話は古代エジプトということで、舞台上にもオベリスクやスフィンクスがセットされています。

演目が進むにつれ、周囲が段々と暗くなってきました。写真の右上部に見られるように、舞台の左右にはモニターがあって、オペラの歌詞がイタリア語と英語で字幕が出ます。

アイーダは第4幕まであり、上演時間も3時間を超えます。幕間には休憩が入り、入り口付近のバールで軽食や飲み物を取ることもできます。

<夜の撮影で、しかもスマートホンのカメラで撮っているため、これ以降の写真はかなり映像が荒いのでご容赦ください。雰囲気は分かって頂けると思います。>

第二幕が始まりました。アイーダの中で一番華やかなシーンが続きます。黒人の子供たちもしっかりと役をこなしている姿がかわいかったです。

そして、アイーダのオペラ曲の中で最も有名な「凱旋行進曲」の場面です。なんと、本物の白馬が登場します!! さすが野外オペラならではで、松明の火なども本物の火を灯しています🔥

凱旋行進曲といえば、サッカーの応援ソングとして使われているので、今では誰でも聞いたことのある馴染み深い旋律となっていますよね。

そして、続く宴の舞ではバレリーナの素晴らしい踊りが見られますが、カラフルなリボンを使う場面は新体操を思い起こさせます。出演者たちの衣装もとても豪華で凝っています。

第三幕は地味なシーンが多く写真はないのですが、その分しっかりとソロのアリアを聴かせてくれました。やはり、あらかじめストーリーを予習していった方が、より流れを把握しやすいと思います。

そして、いよいよ最終幕。。。途中で飽きてしまったり、眠くなってきたりしたら、最終幕の前に引き上げることも考えていたのですが、素晴らしい演出と音楽に、そんな心配は無用でした。

ただ、夜も深まってくると夏とはいえかなり冷え込んできます。私もストールを持っていきましたが、会場内ではブランケットが販売されていました。

この最終幕では、上下のシーンを同時に進行させていて、なかなか凝った演出になっています。

屋内のオペラ劇場で「アイーダ」を見たことがないため比較はできないのですが、この舞台の迫力はここヴェローナのアレーナならではだと思います。私も一度は、ここヴェローナのアレーナで「アイーダ」を観てみたいと思いながら、なかなか縁がなかったのですが、実際に見てみて、長年に渡って人気があり続ける理由に納得しました。

もちろん、演目はアイーダ以外にもあり、毎年5‐6作が交互に上演されます。実は、既に2017年のプログラムと日程が発表されチケット発売が開始されています。

来年は「アイーダ」の他に、「ナブッコ」、「リゴレット」、「トスカ」、そして「蝶々婦人」が組まれています。

ルイジーロでは、ミラノのスカラ座だけでなく、このヴェローナの野外オペラのチケットも予約代行を承っております。

ご興味のある方は、お気軽にお問合せ下さい!

(ただし、一度購入したチケットはキャンセルが利かないため、旅行日程が確定してから予約されることをお勧めします。)


ヴェローナ市内観光レポートも3回目となります。

昨日までで主な見どころは押さえたので、ここからは時間と興味に応じて...ということでご紹介させて頂きますね。

スカラ家の霊廟を見た後に、地図を見ながらピエトラ橋(Ponte Pietra)の方向へ抜けて行こうとすると、ご覧のような建物が目を引くことでしょう。こちらは15世紀のゴシック様式の教会で聖アナスタージア教会(Chiesa di Sant'Anastasia)です。

レンガがむき出しの部分が見られるように、正面のファサードは未完成のままらしく、一見地味な感じがしますが、内部に入ると外観からは想像できないほど美しいので、ぜひ時間があれば覗いてみて下さい。私も地元の方に勧められて訪れてみることにしました。

ちょうど日曜日の夕方でミサの最中だったので、後ろの方からそーっと入って見ただけなのですが、高い天井に描かれた花を図案としたフレスコ画が明るく華やかな印象を与えています。

また、円柱に支えられたアーチの部分の赤と白が、イスラム建築の雰囲気を醸し出していて特徴的でした。

時間とタイミングが合えば、もう少しゆっくりと内部を見学してみたかったと思ったほどだったので、後から改めて調べてみると、この教会には有名なフレスコ画があるとのことでした。

内陣の右側にあるペッレグリーノ礼拝堂のアーチの上部に描かれている「聖ゲオルギウスと王女」というタイトルで、ピサネッロという画家によって描かれたフレスコ画です。

さて、こちらの教会を後にしたら、引き続きピエトラ橋へと足を進めてみて下さい。

ヴェローナの街をS字型に蛇行して流れるアディジェ川に出ます。

写真の左手に見えているのが、川に架かる橋の中でも一番古い、古代ローマ時代に起源をもつ石造りのピエトラ橋です。紀元前1世紀に作られたときは木造りの橋だったそうですが、その後に石で架け替えられ、現在みられるのは、第二次大戦で崩壊した後に再建されたものだそうです。

そして、このピエトラ橋を対岸に渡って右へ進むと古代のローマ劇場(Teatro Romano)があります。円形闘技場アレーナよりも古い建造物で、紀元前1世紀末に丘の斜面に自然の勾配を利用して建てられたのですが、中世に劇場を形作っていた石材は殆ど全てが持ち去られてしまい、劇場があった場所の上には別の建物物が建てられていたそうです。19世紀になって地元の豪商が発掘を始め、その後ヴェローナ市が発掘を引き継いで、現在でも夏には野外劇場として利用されているそうです。

この斜面を少し上った高台から川を挟んで見えるヴェローナの旧市街の様子が、ヴェローナっ子の大好きな景色だとか。。。その更に上にはサンピエトロ城(Castel San Pietro)があります。

橋を引き返して再び旧市街へと戻り、ヴェローナの大聖堂=ドゥオモ(Cattedrale di Verona)を目指します。12世紀から建設が始まり、ロマネスク~ゴシック~ルネサンスと様式が混在しているので、建築的にも興味深いと思います(時間的に閉まっていたため、正面からの写真のみ)。

大聖堂の正面に背中を向けて歩き始め、途中から川沿いに進んで2つ目の橋がヴィットーリア橋(Ponte della Vittoria)になります。その橋の上から見える奥の方に架かっている次の橋が、ヴェローナで最も美しいと言われるスカリジェロ橋(Ponte Scaligero)です。この橋と左手の建物ヴェッキオ城(Castelvecchio)は繋がっていて、まるでお城の一部のように見えます。

ヴェッキオ城は14世紀後半にスカラ家によって居城として建てられましたが、現在内部は市立博物館となっています。

遠方から写真を撮り、街の中心部へ引き返す途中で、また古代ローマの建造物の一部に出くわします。

写真に見られるように、2つのアーチの上に更に2層のアーチが重なった特徴的なボルサーリ門(Porta Borsari)です。

古代ローマ時代は、近くにあった神殿の名前を取ってユピテル門と呼ばれていたそうですが、中世の頃に、この門が徴税場所であったことから「徴税」を表すbursariiが転じてボルサーリ門と呼ばれるようになったようです。

この門をくぐって直進すると、エルベ広場のマッフェイ館の前にたどり着きますし、写真撮影だけしてそのまま素通りして道なりに行くと、例のショッピング・ストリートへ交わります。

なお、古い遺跡に興味がある方は、前述のヴェローナ編①でご紹介したジュリエットの家からエルベ広場へ出る前に、そのままカッペッロ通りを進んでいくと、レオーニ門(Porta Leoni)というもう一つの古代ローマ時代の建造物を見ることができます。

こちらは古代ローマ時代の門の呼び名は不明ですが、15世紀に近隣から発掘された石棺の表面に彫られていたライオンの絵柄に因んで、レオーニ(イタリア語でライオンの複数形)門と呼ばれるようになったそうです。

ご覧のように門のアーチの一部が現在の建物の側面に融合されていて、不思議な光景となっています。そして、中庭の壁部分と塔の基礎が道路の下から発掘され、フェンスで囲まれて上から覗き込むことができます。この遺跡の上の通りがレオーニ通り(Via Leoni)です。

レオーニ通りを進むと、サン・フェルモ・マッジョーレ教会(Chisa di San Fermo Maggiore)に出ますが、そこの前のバス停からも鉄道駅へ行くバスが通っていますので、帰りの電車の時刻に合わせて見学の予定を組み立てるといいでしょう。

教会建築に興味がある方は、市の中心部からは少し外れますが、サン・ゼーノ聖堂(Basilica di San Zeno Maggiore)はロマネスク様式を代表する建築物となっていて見ごたえがあるかも知れません。

さて、3回に渡りエピソードなどを交えながらの長いレポートとなってしまいましたが、観光の合間にはランチを取ったり、歩き疲れたら途中のカフェで休憩したり、お店を覗いたり...と、思い思いのヴェローナ観光をして頂けたらと思います。

もちろん、日程的に余裕がある場合には、日帰りではなく宿泊されれば、さらに奥深くヴェローナを楽しむことができるでしょう。いずれの場合も、ミラノからアテンドしてご案内することも可能ですので、お気軽にご相談ください!

なお、観光の順路を示した分かりやすい地図があったので、参照までにリンクを添付します。

ヴェローナ市街地図(JAPAN-ITALY Travelさんのリンクマップをお借りしました)


昨日に引き続き、ヴェローナ市内観光のレポートです!

ジュリエットの家を見学した後、カッペッロ通りを引き返してそのまま直進すると、エルベ広場(Piazza delle Erbe)に出ます。写真のように白いテントを広げた露店がずらりと並んでいるのですぐ分かるでしょう。

ローマ時代にはフォーロ・ロマーノ(公共広場)があった歴史のある広場で、かつてはエルベ(野菜やハーブ類を指す)だけが売られていたため、そう名付けられたそうです。当時の商業の中心だった場所は、現在では果物などの他にも、観光客用のみやげ物や地元住人向けの日用品や雑貨などが売られています。

広場の中心には、14世紀半ばにスカラ家によって作られたマドンナの噴水があり、今も街のシンボルになっています。また広場の奥には、ヴェネツィアのシンボルである翼のある獅子像を上部に戴く聖マルコの円柱が立っていますが、これはヴェローナが15世紀初めから約400年間ヴェネツィア共和国に支配されていた名残です。そして広場の周囲は、鮮やかなフレスコ画が残される16世紀の商人の館(マッザンティ屋敷)や17世紀に建てられた典型的なバロック様式の宮殿(マッフェイ館)、中世の鐘楼(ランベルティの塔)などに囲まれた開放的な広場となっています。このランベルティの塔がある建物が旧市庁舎です。

エルベ広場を見下ろすように立つランベルティの塔は84メートルの高さがあり、368段の階段で上まで上ることができます(有料、途中までエレベーターの利用も可)。もちろん、塔の上からは360度ヴェローナの街を一望できますので、時間と体力に余裕のある方には是非お勧めです!

エルベ広場から塔の横を右折してアーチを抜けると、中央には文豪ダンテ・アレギエーリ(詩人、哲学者、政治家)の像があるシニョーリ広場(Piazza dei Signori)に出ます。

<ランベルティ塔の写真はエルベ広場から撮ったものと、シニョーリ広場から撮ったものです>

ダンテの時代のイタリアは、教皇派と皇帝派に分かれて長らく内部抗争が続いていましたが、皇帝派だったダンテは政変により教皇派の中心都市だったフィレンツェから追放の身となり、ここヴェローナで亡命し、当時の君主スカラ家の客人として滞在していたそうです。そして、その時にあの名作「神曲」の〔天国編〕を書いたと言われています。

「ロミオとジュリエット」の物語も、この時代に実際に起こった事件がモチーフとなっていて、教皇派を支持していたモンタギュー(イタリア語でモンテッキ)家の息子がロミオ、皇帝派を支持していたキュピレット(イタリア語でカぺレッティ)家の娘がジュリエットでした。両家の対立は、最初にダンテの「神曲」の中で紹介され、その後、イタリアの作家パンデッロが二人の悲劇的な恋をテーマにした作品を発表し、シェイクスピアは、この作品をもとにして戯曲を書いたといわれています(実際、シェークスピア自身はヴェローナに来たことはないそうです)。

こういった時代背景に想いを馳せながらの観光も、この街の印象をより深くしてくれるのではないでしょうか。

広場は12~15世紀に建造された宮殿に囲まれ、その建築様式も様々ですが、例えばダンテ像の後ろには美しいルネッサンス様式の柱廊が見られます。市庁舎や裁判所などがあったことから、当時は行政の中心の広場だった訳ですが、写真右奥の建物は現在でもヴェローナ県庁舎として使われているそうです。

シニョーリ広場からこの県庁舎の右側の道を進んでいくと、今度はゴシック様式の立派なモニュメントが見えてきます。

これは、スカラ家の霊廟(Arche Scaligere)...13-14世紀にヴェローナの黄金時代を築いた一族であるスカラ家の領主のお墓です。立派な彫刻が施された四角錐の屋根の上には騎馬像が飾ってあり、その下に石棺が置かれています。

また、墓廟を囲んでいる鉄格子の模様はスカラ家の家紋で、四弁の花の中央には階段が配置されています。

スカラとは、イタリア語で階段とか梯子を意味するので、家紋にそのデザインを入れているところがオシャレですよね!

ちなみに、ジュリエットのカペレッティ家の家紋は帽子がモチーフになっていて、ジュリエットの家の入口上部を注意深く見ると帽子のデザインが彫られています。イタリア語で帽子はカッペッロで、カペレッティは小さな帽子の複数形といった意味になるのですが、現在ジュリエットの家がある通りもカッペッロ通りとなっています。

余談ですが、ミラノにあるオペラの殿堂「スカラ座」は、サンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の跡地に建設されたことから命名されたのですが、この教会の名前こそ、ミラノの名門ヴィスコンティ一族に嫁いだスカラ家の娘=ベアトリーチェ・デッラ・スカーラからつけられたそうです。

今日はこの辺で、ヴェローナ・レポートは明日に続きます!

なお、観光の順路を示した分かりやすい地図があったので、参照までにリンクを添付します。

ヴェローナ市街地図(JAPAN-ITALY Travelさんのリンクマップをお借りしました)

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